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<<   作成日時 : 2008/05/13 06:40   >>

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与太話です。

朝鮮半島の全面支配を目論む新羅は、唐王朝と組み、百済・高句麗を攻撃した。唐の強大な軍勢の前に、先ずは百済が滅ぼされた。(663年。白村江の戦い)次に、唐・新羅連合軍は、高句麗の都、平壌を攻め、668年、高句麗は滅亡した。(高句麗=現在の北鮮と看做して、間違いではない。)かくして、朝鮮半島は、唐に後見された新羅によって統一されたのであった。

滅亡した高句麗の王族の一部は、難を逃れて日本に亡命した。高麗若光王は、高句麗の王族であったが、現在の神奈川県平塚市・大磯町あたりに漂着し定住した。(666年に日本への使者として派遣されたという説もある。666だぜ、全く。)この地には、「高麗山」なる小山があり、山麓には高来神社がある。もとは、「こうらい」と読んでいたが、今は、なぜか「たかく」と読む。

ちなみに、高麗山に連なる「湘南平」なる景勝地の由来は......大磯、平塚の海岸風景が、中国の洞庭湖の南岸、「瀟湘湖南」に似ていると、中国からの渡来人が指摘したのが発端らしい。よって、湘南とは、本来、平塚、大磯のことである。葉山や逗子は、湘南の看板を外されたい。がはは。

高麗若光王は、大和朝廷の命で、埼玉県日高市・飯能市に一族ともども移住した。そして、高麗郡の郡司を命じられ、朝鮮の文化を伝えた。現在、西武線の高麗駅の入り口には、「天下大将軍・地下女将軍」の一対のトーテムポールみたいなもの(将軍標)が建てられており、近くには「高麗神社」がある。ご祭神は、高麗若光王である。近くの名所、「巾着田」も、若光王一族が残したものか?

でもって、宮司の「高麗」さんの家だった木造家屋が境内に残されている。つまり、若光王の子孫。そこで、代々の高麗家当主が子供に儒教だの四書五経だのなんたらかんたらを教えていたらしい。今のご当主は、14代目だか15代目で、いまだに「高麗(こま)さん」である。日本に赴任した韓国大使が、先ず最初にやることが、高麗神社に参拝することである。境内には、寄進者の木札がずらりと並び、歴代の韓国大使や、来日閣僚の名前が連なっている。日本の神社と違って、ガシャガシャ鳴らす鈴みたいのがない。神道の神社ではない。

さて、与太話である。高句麗の遺臣は日本に逃れた。その中に、高句麗の宰相にして、将軍であった淵蓋蘇文(えんがいそぶん)がいた。朝鮮史では665年に半島で死んだことになっているが。 淵蓋蘇文の本名は「大海人」であったが、大和朝廷に入り込み、日本王族を偽装した。彼は、「大海人皇子(おおあまのみこ)」と名乗り、壬申の乱クーデターを経て、 王権を手に入れ、天武天皇となった。

さて、こうなると、自分の身分を偽り、正統な王位継承者であると偽装する必要が出てきた。そこで、太安万侶に命じて、偽書、古事記を編纂させた。天武が天智天皇の弟であったと、嘘八百を書かせた。さらには、自分の王権が、長い過去を持つ正統な日本王室であると偽装し、唐に日本の存在を容認させるのも目的のひとつであった。

かくして、朝鮮の軍人、「大海人」は日本の天皇になりすましたのである。さらには、済州島出身の女房である持統天皇もまた、日本書紀を偽造させ、王権の正当性を取り繕ったわけである。

天武、持統は、日本に仏教を定着させた。結果、肉食が忌避され、明治に至るまでの間、日本民族は肉食をせずに来た。(自らの宗教的権威を高めるため、伊勢神宮崇拝にも肩入れした。)

そもそも「天皇」の称号を使い始めたのが、天武である。三種の神器の制定、伊勢の遷宮の制定・開始をしたのも天武である。万葉集には、意味不明・解読不能の歌がたくさんある。なんのことはない。日本語の「読み」を利用して、古代朝鮮語の発音で、表現しているだけである。意味の読めない歌は、朝鮮語の音に直して読めば、1000年の謎も一瞬にして解ける。

そして、長い間、日本人は、真実の歴史を知らずに無駄な学問を続けてきたのである。がはは。

以上、与太話でした。

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コメント(16件)

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ちなみに、「新羅」は、日本では「シラギ」と読むが、朝鮮では「シルラ」。ソウルにある有名なホテルが、「ホテル・シルラ」。「新羅城=シルラの都」、つまり、シルラギがシラギに訛ったらしい。

百済は、日本では「クダラ」。だが、朝鮮語では逆立ちしても「クダラ」とは読めない。「ペクチェ」と読む。どうやら、百済からの渡来人が「わが国」とか「大国」の意味で、「クンナラ」と発音したのを、日本人が「クダラ」と聞き間違えた様子。

日本では、トタン板のことを「ブリキ」と言う。実は、横浜港に陸揚げされた「トタン板」を指して「あれなんだ?」と聞いた日本人がいた。聞かれた南蛮人、隣に積んである「レンガ」のことだと勘違いして、「ブリック」と答えた。

以後、平成の今でも、トタン板は「ブリキ」。これと同じ。

歴史なんて、この程度のもの。間違いだらけ。がはは。

richardkoshimizu
2008/05/13 07:53
全くもって、くだらない世界に住んでいるのだなあって。権力屋のごたごたは勝手に地球の隅っこでやっといてくれって言いたいけど、必ず、自分みたいな小市民も巻き込まれる。なんて迷惑な人間社会だ!権力の横暴ほど迷惑なもんないのになあ。ちっちゃい悪ばっか叩いて喜ぶ小市民社会。
流れ者
2008/05/13 13:33
<万葉集には、意味不明・解読不能の歌がたくさんある。なんのことはない。日本語の「読み」を利用して、古代朝鮮語の発音で、表現しているだけである。意味の読めない歌は、朝鮮語の音に直して読めば、1000年の謎も一瞬にして解ける。>
ってありますが、たとえばどんなうたがそうなのでしょうか?
ケロ
2008/05/13 14:11
中国の地震も地震兵器ですね。最近話題に良く上がる硫化水素自殺、天然ガス採掘の時硫化水素が出る。東シナ海の天然ガス田採掘の妨害のつもりなんですかね?
北斗のケンちゃん
2008/05/13 17:23
日本合成化学という会社があります。ここは無水酢酸の製造を多くしてるようです。この無水酢酸はアヘンを麻薬に精製するとき絶対必要なモノ。この会社の大株主を見ると、やはり、チェースマンハッタンバンクロンドンSLオムニバスアカウントというのが見当たりますね。
北斗のケンちゃん
2008/05/13 17:33
万葉集の話は少し興味あります。
是非ともその方面の学者さん達にやってもらいたいです。 これは新たな謎解きの新機軸ですよ。
地震兵器や気象兵器はかなりな傍証がでてきてます。
その内手口が暴露されるでしょう。
ピラリーちゃん
2008/05/13 18:30
皇室の話はだいぶ違うような気がしますけど。それこそ捻じ曲がっていませんか。日本のエスタブリシュメントの顔がありませんよ。
ヨタヨタ
2008/05/13 19:51
>意味の読めない歌は、
>朝鮮語の音に直して読めば、
>1000年の謎も一瞬にして解ける。

解きたい
かなり面白いです
2008/05/14 01:02
舒明天皇の娘、額田王の歌 (大海人=天武天皇に与えた歌)

「あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」

「茜草指 武良前野逝 標野行 野守者不見哉 君之袖布流」

これを、朝鮮語で読むと......

「茜色をしたホト(女性の持物)が標野を行きます。野守は見ていないでしょうか、貴方が私の股を広げるのを」

注:「之袖布流」は、朝鮮語でガサボルヨと発音し、股を広げるという意味だそうな。

エロイなぁ。ポルノグラフィーだったんだ、万葉集。小林恵子著「本当は恐ろしい万葉集でもよもうかね。

http://ameblo.jp/oldhakkai/theme-10003055733.html
richardkoshimizu
2008/05/14 05:58
乗っ取られた飛鳥朝廷
http://www.syamashita.net/history/kodaishi/nottri.html

とにかく、日本書紀の皇極・孝徳・斉明の各天皇の項には、国内での記事よりも朝鮮半島での出来事が頻繁に書かれているのが目立つ。

 天智天皇(翹岐)は、百済から亡命した官僚に対し、佐平や達率の官位をそのまま認め、律令・五経・兵法の専門家として起用した69)とある。

 さらに、天智の死後に起きた壬申の乱(672年)で、新羅の軍勢や日本に来ていた高句麗人らを率いて、すでに即位していた倭王(天智の子・大伴皇子:弘文天皇)に公然と反旗を翻した大海人21)は、自ら指揮を執って戦運を占った69)という。近江朝を制した大海人は、天武天皇として即位している。この人物も、もと高句麗の大莫離支・淵蓋蘇文だった21)。大莫離支は王に次ぐ官位で、総理大臣に匹敵する。(中略)
richardkoshimizu
2008/05/14 06:19
高句麗における淵蓋蘇文(大海人)のクーデターは、国内だけでなく隣国をも震撼とさせたとみえ、旧唐書・高麗伝や朝鮮の三国志高句麗本紀に、「642(皇極1)年、高句麗で淵蓋蘇文が王を殺し、高句麗最後の王・宝蔵王を擁立する」と出ている。

 日本書紀は皇極元年条に、「高麗の使人が曰く、大臣伊梨柯須彌(蓋蘇文69))が高句麗大王を殺し、合わせて百八十人余りを殺した」と書いている。高句麗でクーデターを起こしてから日本に来て、大海人として登場していたのである。

 日本書紀の天武天皇条は上・下に分けて詳しく書いており、出自は天智の同母弟としている。しかし、生年も死亡年齢も書かれていないのがおかしい。記紀の編纂を命じた天皇である。

 中世に成立した史書、「本朝皇胤紹運録」に、天武の死亡年齢は六五歳とあることから、622年生まれの兄とされている天智より4歳上になり、日本書紀でいう天智の同母弟というのは嘘で、異父兄弟ではないか48)とみられている。
richardkoshimizu
2008/05/14 06:19

●●●ちゃん、君を之袖布流したい!

           円買い粗文でした。

こーゆー隠し言葉・身内の隠語で万葉人は遊んでいたんだね。
richardkoshimizu
2008/05/14 06:27
与太話とはいえ万葉の歌のプレゼントありがとうございす。文化的豊かさを感じます。

以下、私が好きなものです。

 高き屋に のぼりて見るは 煙たつ
  民の かまどは にぎわいけり

  仁徳天皇

高殿に登って、街を見渡したら煙もたたずにさびれ、民貧しいと仰せられ租税を免除して三年後に再び高殿に登ってみるとこんどは家々の竈(かまど)から煙の立ち上るのが見られ、民の経済も安定してきたと鑑みたというお話。

為政者は民百姓のの暮らし向きを案じて国づくりをなして来た。
(ま、これを読んだということは、当時、ここいらで租税をかけてもやっていけると判断されたのだろうが…)

いつの世も混乱は避けられないのでしょう…。せめて市民の、ささやかな食卓が、幸福な笑いで満ちている事を望みます。

リチャードさん、今後とも、頑張ってください。応援しています。
神社神主の子孫
2008/05/14 10:41
いつもブログ、のぞいています。
リチャードさんのお話、ほんと、ためになります。
私も調べてみよーと。
函館の人
2008/05/14 16:29
>小林恵子著「本当は恐ろしい万葉集でもよもうかね。
>
>http://ameblo.jp/oldhakkai/theme-10003055733.html
>http://www.syamashita.net/history/kodaishi

読みます
かなり面白いです
2008/05/15 00:36
「本当は恐ろしい万葉集」読みました。
「奈良」が「国」と訳されていたので、
もしかして「朝廷」も?という気がしたんで
調べてみましたら「朝」も「国」でした。
大和朝廷が興ることで、隅の方へ追いやられた
人たちがいたとしても、体制側が記録するはず
もない。翻って現代も凡そ公に語られることは
体制側に有利な事実の一部だけで、事実の大半
ではない。そういう情報を体制側以外からしか
出ないから、出すしかないですね自分たちで。
というわけで、次は

「第四作」の
 第十六話 自費出版で闘う

から読むことにします。

かなり面白いです
2008/05/25 00:25

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