日本初の英語教師はインディアンだった。 19世紀中ごろ、ラナルド・マクドナルドなる人物が、米大陸の英領フォート・ジョージで誕生する。この人物がマクドナルドのハンバーガーを食する機会はなかった。マクドナルド兄弟がハンバーガーチェーンを始めたのは1940年であり、ラナルドは1894年に没しているからである。また、ハンバーガー自体を食した可能性も低い。米大陸でハンバーガーがある程度普及したのは、1900年頃と思われるからだ。ちなみに、マクドナルドとは、「ドナルドの息子」という意味のスコットランド姓であり、「マク」がつく姓は、マッカーサー、マクナマラ、マッキントッシュと枚挙に暇がない。スコットランドかアイルランド出の一族であることを示すが、前者の場合、表記は「MAC」となる。女子高生が放課後しばしば口にする「マック行こうか?」とは、「息子のところに行こうか?」と直訳される。w ラナルドの父、アーチボルドはスコットランドに生まれ、エジンバラ大学を卒業した。英国国王の勅許状のもとに毛皮の交易事業を手がけていたハドソン湾会社に就職したアーチボルドは、新大陸の英領フォート・ジョージでインディアンからビーバーの毛皮を買い取る仕事に就いた。ビーバーの毛皮は、高級な帽子に用いられ、中国大陸で高く売れるのだ。仕事上の便宜を図るために、同僚たちと同じように政略結婚した。インディアンのチヌーク族の大酋長、コム・コムリの娘を娶った。翌年息子が生まれた。息子、ラナルドは母親の血を強く受け継ぎ、黒髪、黒い瞳、茶褐色の肌を持つ。父親の伝手で学校教育を受けるが、混血であるため終始差別される。父親自身もラナルドをインディアンに対する蔑称で呼んだほどだ。 インディアン社会では、自分たちの祖先が、アジアからベーリング海峡を渡って米大陸に定着したと語り継がれている。アジアの民は、インディアンの同族であると信じられている。その頃、ラナルドは、日本に対する関心を深くする。日本の漂流民が、数年もの漂流の後に救助された話を耳にして、感動する。彼らが勤勉、頭脳明晰で、英語学習でも進歩が著しいと知る。礼儀正しいそうだ。日本という世界で最後に残された鎖国国家が、高い文明を持った国であると認識する。漂流民の目撃談が、ラナルドの耳に入る。「目が不可思議なほど澄み皮膚が驚くほど滑らかでインディアンに似ている」という。ラナルドは、どうしても日本に行ってみたくなった。日本が、自分の母親の祖先の国だと考えたのだ。日本に行くために、何とか伝手をたどって捕鯨船に乗り組む。北海道の利尻島あたりでボートを下ろしてもらい、島に近づく。島の住民の大半は、倭人のために鰊や海鼠を獲って、米と交換してもらい生計を立てるアイヌである。海鼠はその当時から、中国料理の必須アイテムであり、長崎経由で中国に輸出されていたのである。乾燥させた海鼠を輪切りにして野菜などと一緒に煮込む。私は、あまり好きではないが。アイヌに救助されたラナルドは、島の漁場を管理する倭人の豪商の手下の手で吟味され、松前藩に送致される。さらには、長崎に送られ、半年間、寺の座敷牢に収監される。ここで、幕府の通詞(通訳)14人に英会話を教える。当時の通訳形態は、英語→オランダ語→日本語であったので、直接英語を日本人に教えたのは、ラナルドが最初である。つまり、今なら日本中にいくらでもいる駅前留学学校のネイティブ・スピーカーの外人教師の草分けが、マクドナルドなのである。 長崎に送致されたマクドナルドの「世話役」に任命されたのが29歳のオランダ通詞、森山栄之助だった。世襲の通詞役ではあったが、優秀であり、「オランダ人よりもオランダ語がうまい」と形容された。英語を解するオランダ商館長、レフィソンに終始付き添い、英語の習得に熱心だった人物だ。マクドナルドの尋問にあたった森山の口から、発音は少し奇異だが、正しい文法の英語がすらすらと出てきたことにラナルドは驚く。森山は、レフィソン譲りのオランダ訛りの英語を話したのだ。キリスト教の流入を恐れる幕府は、ラナルドに踏み絵をさせる。プロテスタントであるラナルドは、カソリックではないので、躊躇せずに踏み絵をする。これで犯罪者・密入国者扱いを逃れる。森山は幕府の命に従い、マクドナルドに英語教師となることを依頼する。だが、「Learn」という言葉が通じない。オランダ語風に「れるん」と発音しても、「ラーン」のことだとは気がつかない。かくして、長崎のオランダ語通詞が集められ、英語教室が開設される。オランダ人を通じて伝わっていたおかしな英語の発音が、ラナルドの熱烈な指導で矯正されていく。ラナルドも日本語の習得に必死になる。週に一度、大好物の豚肉を与えられると、「アリンゴト キワメテ アリンゴト」と感謝することができるようになる。ラナルドの日本滞在は、通算1年に満たない。1849年4月、長崎に入港したアメリカ船プレブル号に引き渡され、アメリカに戻る。だが、彼が、日本のその後の開国過程に与えた影響は大きい。ペリーが二度目に来航した際の通詞が、森山栄之助だったのである。比較的流暢なオランダ語・英語を操る森山は、ペリーらに好印象を与える。米国船の漂流民に対する日本の過酷な扱いなどで、弁明に努める。私は、通商に応じなければ、軍艦100隻を江戸湾に送って日本を攻撃占領すると恫喝したペリー少将に屈して、その後、日本が開国の道をたどったこと自体は、「不幸中の幸い」ではなかったかと思う。武力で攻められ、中国のように海港都市を占拠され、国内に麻薬を流し込まれたのではたまったものではない。結果的に森山らが、意思疎通に奔走したことが、穏やかな開国に繋がったのではないか?(それ以前の鎖国政策は、必ずしも間違いではなかったとは思うが。) 日本滞在中のマクドナルドの扱いは、丁寧なものだった。マクドナルドも温和な性格で、日本人の信頼を勝ち得た。彼が日本を去るときの最後の一言は、「さようなら my dear さようなら」だったという。彼は死ぬまで日本に対する好意を持ち続けた。マクドナルドは日本では無名だが、米国では高く評価されており、多々、人物研究もなされている。「日本は土人国ではない。高度な文明を持っている。」とアメリカ社会に訴え続け、対日政策に影響を与えたのである。日本がほかのアジア諸国とは一味違う「高い文化」の国と米国人に看做されたがゆえに、武力による野蛮な侵略を受けずに済んだ側面があるのではないか?マクドナルド、森山といった人たちが、この局面で果たした役割は、評価してもよいと思う。(もっとも、明治維新以降のユダヤ支配は、別問題であるが。)歴史のキーパーソンは、有名な人物だけではない。土佐の漁師、伝蔵同様に、ラナルドもまた、歴史のキャスティング・ボードを握った人物だったのである。そして、そのラナルドをこの世に生んだスコットランド人、アーチボルト・マクドナルドの私利私欲に立脚した損得勘定による結婚が、日本の開国の鍵となったのである。「父との決別」が、ラナルドを日本に送り出したのであるから。 参考図書 : 吉村昭 「海の祭礼」 (文芸春秋、昭和59年) |
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タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
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内 容 | ニックネーム/日時 |
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コシミズ様、ラナルドのお話大変感動しました。 |
独立党員の方へ質問 2009/01/19 11:14 |
米国人と言っても、日本を食い物にしようと企んでる奴だけとは限りませんしね。 |
まる 2009/01/19 12:13 |
ところで何が聞きたいの?? |
トコロデン 2009/01/19 12:59 |
聞きたいほうから質問するのが筋。 |
ガンモ 2009/01/19 13:08 |
隠れ会員ですがお答えします。 |
百姓屋 2009/01/19 13:09 |
とても勉強になりました。 |
だい 2009/01/19 14:11 |
工業製品は必要だけど、食糧危機になってもそれが食えるわけではないからね。農家、特に自然農法の方が大事にされんとね。思ったより大変なんだろうけど、農業なんて大変だからやめなさいとか簡単に言うのはヤバイ。食糧は武器ですわ。 |
かな☆kana 2009/01/19 14:20 |
人を思いやる事が当たり前である人間が集まっ |
世界一心豊かな国 2009/01/19 14:27 |
農薬は必要悪と解されて来たが、やはりそれが川から海へ流れ魚まで汚染し、食物連鎖の頂点にいる人間に跳ね返ってくるからね。 |
ピラリーちゃん 2009/01/19 14:33 |
質問者さん>私は心情党員ですけど。荒田先生の支援は、ユダ金のエネルギー支配に風穴をあける。お金を出せるひとはお金、情報拡散できるひとは情報拡散。自分のできることをせいいっぱいすれば良い。 |
砂頭巾 2009/01/19 14:34 |
パソコンからニュースサイトを見る頻度を聞い |
パソコンでNews七割 2009/01/19 15:16 |
真実を知ったらままなら何も変わりはしない。次は覚醒した者から『声を上げる事』だと思います。身近な所から、それぞれのやり方で。 |
しょう 2009/01/19 16:21 |
石腹都知事のもと、東京オリンピック誘致を目論んでいる勢力が、『東京オリンピックは派遣切りされた方の雇用確保が望める。』と誘致を更に推し進めるようです。 |
真実を求めて 2009/01/19 17:03 |
誘致されなかったら…インフラ建設を進めて…オリンピック=税金の無駄使いに終わるのでは。そのまま雇用対策に使えないかな。 |
しょう 2009/01/19 18:07 |
【種を自家採種させない為の法律】(現在リンク切れ) |
熱海座談会参加者 2009/01/19 18:12 |
AFP通信は17日、中央アジアのキルギス政 |
アフガン戦略に打撃 2009/01/19 18:42 |
読んで感動しました。 |
馬喰 2009/01/19 19:22 |
中央統制でやろうとキチガイ役人どもが考えることは、ろくなもんじゃない。 |
へ 2009/01/19 21:16 |
ネイティブアメリカンはモンゴロイドですよ、ね? |
おかるす 2009/01/19 21:31 |
アメリカを理解する上でちょっと閃いたのが、『コストパフォーマンス国家』だ。というのが見受けられる。 |
戦艦 エルビス・プレスリー 2009/01/19 21:50 |
あぁあああああ、あああああああ、あああああああww |
流れ者 2009/01/19 22:00 |
国際銀行戦略及び通貨コンサルの専門企業であるカナダのBankIntroductions.com社は、 |
おぺろん 2009/01/19 22:12 |
>戦艦 エルビス・プレスリー |
おかるす 2009/01/19 22:17 |
西欧の個人主義もアメ公の実用主義も、みんなアシュケナジの発案のような気がする。市民を愚かで分裂し易くするための思想として。これは調べれば解かるかも知れない。 |
おかるす 2009/01/19 22:24 |
コストパフォーマンスの象徴、ハンバーガー、 |
戦艦 エルビス・プレスリー 2009/01/19 22:38 |
だいたいね、プラグマティズムは哲学から生まれたんだけど、「全てを説明する普遍的原理」を追求するのが哲学であって、この場合、実用主義を謳うなら「何についての実用か?」とか「最善の実用とは何か?」などで真理を問うことが実用主義の本質にあるべきであり、そういうものが全く無いプラグマティズムはぐるーっと遠回りして哲学の初歩に再帰してしてしまってるんだよ、と我思う。 |
おかるす 2009/01/19 22:50 |
アメリカ人は『アグレッシブ』という言葉が一番好きなんだよね。これも国民性を良く表している。 |
戦艦 エルビス・プレスリー 2009/01/19 23:39 |
ネイティブアメリカンについてのお話を |
kuri 2009/01/19 23:47 |
◎わたしたちはこの列島に「日本」という絨毯がしかれた「歴史」からしか教えられてないのではないか |
kuri 2009/01/19 23:49 |
おぉお。kuriさん、いいぞー |
にんじん 2009/01/19 23:56 |
本日、日本銀行のホームページ統計http://search.jword.jp/cns.dll?type=lk&fm=109&agent=9&partner=BIGLOBE&name=%C6%FC%CB%DC%B6%E4%B9%D4&lang=euc&prop=800&bypass=3&dispconfig=から通貨流通高が削除されました。ひょうとしたら探しが不十分かも。 |
はっとり 2009/01/20 00:01 |
コシミズ先生、勉強になりました。 |
ムネニク 2009/01/20 00:12 |
>日本人は武士道『死する覚悟ですすむべし』とか『潔く』とか格式重視 |
屁(へ) 2009/01/20 04:13 |
http://jp.youtube.com/watch?v=kmjCBZmSBY0&feature=related |
大 2009/01/20 06:26 |
偶然や思い過ごしだといいんだけど、やっぱカルト宗教の信者獲得イベントなのかな。 |
大 2009/01/20 06:31 |
>>戦艦 エルビス・プレスリーさん |
大 2009/01/20 06:40 |
よいしょよいしょ。欧州では霧・モヤ・霞の発生が減少しているが、これは石油・石炭の燃焼時に発生する酸性雨を引き起こす大気中の二酸化硫黄の減少と緊密に関連している事が解った。つまり『大気汚染の減少が温暖化を促進』だと述べている。こらこらケムトレイルで撒き散らす口実だね【パリ18日AFP時事】 |
しょう 2009/01/20 10:28 |
>とても勉強になりました。 |
richardkoshimizu 2009/01/20 11:09 |
コロンブスもユダヤです。土地を持たない彼らはその頃から海外の新天地を求めていたのでしょう。 |
ピラリーちゃん 2009/01/20 12:19 |
ユダ本部を見せ掛けによって出たユダ金直下のイヌが、仮面を被りユダ本部に対して「お前達の政策はユダ金策で愚かだ」と罵る偽装工作。893本部を出るぞ装い本部を脅かす893直下のチンピラが、仮面を被り893本部に対して「お前達の政策は893策で傲慢だ」と罵る偽装工作。 |
心情党員 1000911 2009/01/20 13:18 |
久しぶりに、ヒットした内容である。 |
これは、久しぶりにヒット 2009/01/21 11:53 |
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