2.20奈良講演「日本2」後日談です。万次郎さん、あほうどりを絶滅寸前まで追い込んでしまったのです。 ジョン万次郎が米国から帰国後、土佐藩で士分に取り立てられ、江戸に出てからは幕府の直参旗本にまで出世した話は講演でご紹介したのですが、その「後」が実はあります。 ●2010.2.20奈良講演会動画「日本2」を公開します。 http://mirrorblog.bob.buttobi.net/201002/article_83.html 当時、幕府は欧米列強の圧力に苦しんでいましたが、「国民の憂さを晴らす」目的もあり、小笠原諸島の開発を目論んだのです。米英の捕鯨船が跳梁跋扈する小笠原海域で領土所有を誇示するのが目的だったようです。 ということで、幕府は、1862年、咸臨丸を小笠原に送りました。「航海術」「捕鯨術」の専門家であるジョン万次郎が乗船していたわけですが、船中や現地で「玉置半衛門」なる八丈島出身の民間の人物と親交を持ちました。 万次郎は、自分が漂流して鳥島に漂着して、島に無数生息するアホウドリを食べて六ヶ月間生き延び、米国捕鯨船に助けられた話を半次郎にしたのです。そして、あほうどりの羽毛が欧米で帽子の羽飾りや寝具用に高値で売れることを万次郎から半次郎は知ったのです。万次郎自身は、函館与力次席に任命されて米国式の捕鯨事業を小笠原で展開しようと企図したのですが失敗。 一方で、玉置半次郎は、東京府から鳥島を無料で借り受け、1888年、鳥島に数十名の人足と一緒に上陸。あたり一面に生息するあほうどりを片っ端から撲殺。(人間を知らないから恐れずに次々と殺害された。)結局、島の鳥資源が枯渇するまで羽毛採取のために乱獲を続けたそうで。年間20万羽、以後15年間で推定約500万羽のアホウドリを撲殺したとそうです。だめだこりゃ。(どういうルートで羽毛が欧米に捌かれたのかを知りたいです。また、ユダ金でしょうか?) かくして半次郎は、この事業で大成功したのですが、乱獲はさらに続き、鳥島のアホウドリは一時絶滅寸前まで追い詰められたそうです。1939年に鳥島が大噴火して島民も全滅し、あほうどりも死滅したと思われたのですが、1951年に生きている固体(30−40羽)が発見され、1999年には約1,200羽まで回復しているそうです。勿論、特別天然記念物です。絶滅危惧II類(VU)に分類されているので、多少は危機を脱したということでしょうか? ということで、万次郎さん、もうすこし先を見て民間人に接してくだされば良かったのですが。残念です。ちなみに半次郎さんは、事後、沖縄の南大東島の開発に携わり、島をサトウキビのプランテーション(製糖事業)に変えたそうです。これも放蕩息子のお陰で失敗。 ↓ブログランキングに参加中! 1日1クリック お願いいたします 人気ブログランキングへ |
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リチャードさん 小吹さん 独立党の皆さん、何時も |
花スミレ 2010/02/27 12:44 |
奈良講演拝見させていただきました。 |
Far east 2010/02/27 16:10 |
今度は大黒屋光大夫 ロシア 伊勢 国家神道を調べてみてください。 |
azumijunko 2010/02/27 16:47 |
カーーーッ!!!!アホウドリを絶滅寸前まで |
N..K 2010/02/27 19:22 |
動物たちには本当に悪いことをしましたね。。 |
moldex 2010/02/27 20:13 |
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