ノモンハンでの負けっぷりには、前々から???と思っていましたが。要研究ですね。(辻政信参謀の「役割」についても) ●小松原師団長はソ連のスパイ? =ノモンハン事件で新説 時事通信 12月8日(木)16時38分配信 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111208-00000105-jij-int 太平洋戦争勃発の2年前の1939年、当時の満州国西部国境で日本の関東軍がソ連軍と衝突、大損害を被ったノモンハン事件について、黒宮広昭・米インディアナ大教授(ソ連政治史)が日本とロシアの公文書などを基に、関東軍第23師団の小松原道太郎師団長がソ連のスパイだった可能性が大きく、関東軍はスターリンの巧妙なわなに陥れられたとの新説を唱えている。 小松原師団長は陸軍大学校卒で、満州国が建国された32年から約2年間、ハルビン特務機関長を務めるなど主に情報畑を歩んだ。38年に第23師団長に任命され、満州北西部ハイラルに駐屯。39年5月にノモンハン付近で発生した小競り合いに独断で部隊を出動させ、大規模紛争のきっかけをつくった。ソ連は周到な準備で機械化部隊を投入、同師団に壊滅的打撃を与えた。 黒宮教授が米誌「スラブ軍事研究」12月号に発表した論文によると、小松原師団長は在モスクワ日本大使館付武官だった27年、ソ連情報機関による「ハニートラップ」(女性を使って弱みを握る工作活動)に引っ掛かり、ソ連の対日情報工作に協力するようになったとみられるという。 ハルビン特務機関長時代には多くの機密情報がソ連側に漏えいした形跡があり、ロシア国立軍事公文書館などにそれを裏付けるファイルが保管されている。 小松原師団長に対するハニートラップ説はロシアの研究者が唱えていたが、黒宮教授は最近、この研究者にインタビューし、ソ連の元防ちょう機関員(故人)が情報源だったことを確かめた。 ●ノモンハン事件 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%83%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6 経緯 清朝が1734年(雍正十二年)に定めたハルハ東端部(外蒙古)とホロンバイル草原南部の新バルガ(内蒙古)との境界は、モンゴルの独立宣言(1913年)以後も、モンゴルと中国の歴代政権の間で踏襲されてきたが、1932年(昭和7年)に成立した満洲国は、ホロンバイルの南方境界について、従来の境界から10-20キロほど南方に位置するハルハ河を新たな境界として主張、以後この地は国境紛争の係争地となった。 1939年(昭和14年)にこの係争地でおきた両国の国境警備隊の交戦をきっかけに、日本軍とソ連軍がそれぞれ兵力を派遣し、交戦後にさらに兵力を増派して、大規模な戦闘に発展した。5月の第一次ノモンハン事件と7月から8月の第二次ノモンハン事件にわかれ、第二次でさらに局面の変転がある。第一次ノモンハン事件は両軍あわせて3500人規模の戦闘で、日本軍が敗北した。第二次ノモンハン事件では、両国それぞれ数万の軍隊を投入した。7月1日から日本軍はハルハ川西岸への越境渡河攻撃と東岸での戦車攻撃を実施したが、いずれも撃退された。このあと日本軍は12日まで夜襲の連続で東岸のソ連軍陣地に食い入ったが、断念した。7月23日に日本軍が再興した総攻撃は3日間で挫折した。その後戦線は膠着したが、8月20日にソ連軍が攻撃を開始して日本軍を包囲し、31日に日本軍をソ連が主張する国境線内から後退させた。 一方、ハンダガヤ付近では、日本軍が8月末から攻撃に出て、9月8日と9月9日にモンゴル軍の騎兵部隊に夜襲をかけて敗走させた。 9月16日の停戦時に、ハルハ川右岸の係争地のうちノモンハン付近はソ連側が占めたが、ハンダガヤ付近は日本軍が占めていた。 停戦交渉はソ連軍の8月攻勢の最中に行われ、9月16日に停戦協定が結ばれた。 |
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たしか何人か現場の首脳が「自殺させられた」と記憶してますが、小松原師団長はどうでしたっけ? この件と関係ありそうですか? |
wombat 2011/12/09 13:50 |
間接的なスレですが当時の日本の外交官でテレビドラマにも何回か放映された杉原千畝さんも私個人的に裏がありそうですI今いろいろ調べている途中でまだ確証はありませんュまた山本五十六さんの映画は今月23日から上映だそうです!やはりB層以下で多分、 六十代以上の方々がメインに見に行かれるのではないのでしょうか!?(笑)56さんもホですね〜!!今は英語の勉強してないのでコテコテの日本人棒読み英語しかできないけど外国人に対してジェスチャー交えて喋れば、かなり通じるよI |
たかひろ 2011/12/09 14:21 |
ノモンハン事件と言えば、安彦良和の「虹色のトロツキー」を思い出します。 |
日本海 2011/12/09 15:12 |
またまた 勉強になります。 |
ラインクラフト 2011/12/09 16:38 |
ノモンハン事件に関して日本軍は大敗したとの間違った歴史認識が多いのは残念ですが、反論覚悟でコシミズさんのブログコメントに投稿致します。日本軍は苦戦はしてましたが増援部隊も無く補給に苦しみ苦戦しながらも頑強に戦闘していたと思います。日本軍の兵力はわすが1個師団約2万に対してソ連軍は10倍以上の23万人以上の兵力を投入しても勝てなかった。ソ連軍がノモンハンで勝利していたなら勝利の勢いで満州やハルピンまで進行してたでしょう。終戦直後の占守島攻防戦でのソ連軍との戦闘でも日本軍は勝利してソ連の北海道侵攻占領を阻止しました。真珠湾攻撃、アポロ計画のインチキ等、歴史の間違い誤りは後世に伝えてかなければならないと思います。リチャード・コシミズ独立党の活動はユダヤ金融悪魔の謀略を阻止する事、後世に伝える事だと私は思います。 |
イージス 2011/12/09 16:39 |
不勉強ですみません。「ノモンハン事件」は名前だけはよく聞くのですが、内容をよく知りません。私も勉強したい事件です。 |
John McClane 2011/12/09 16:47 |
「色事」に反応してしまう情けない僕です。w |
心情くん 2011/12/09 17:02 |
ノモンハンではちょいとやられたけれど、その事ひた隠して〜劇団四季のリコーランより |
オンチン・ハラショー 2011/12/09 19:11 |
ハニーねぇ〜。今も昔もハニ〜。男って奴は… |
だらしないね! 2011/12/09 19:13 |
辻政信参謀、戦後国会議員になって海外で消息を絶った男。 |
日本独立 2011/12/09 19:33 |
小松原さんについては詳しく知りませんが、近衛文麿の同志だったのではないか? すなわち、共産主義者だったのではないか? と考えます。 |
穂咲青二才 2011/12/09 19:56 |
人種も文化も異なる存在に対して簡単に出来る |
N.K 2011/12/09 21:09 |
森林太郎(鴎外)もドイツでユダヤ女に骨抜きにされたそうです。 |
PEPPY 2011/12/10 22:56 |
イージス様がおっしゃっていますが、この戦力でよくぞ健闘したものだと思います。 |
nntk 2011/12/14 12:55 |
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