あー知りたい。 17世紀初頭に伊達政宗公がやったこと。慶長遣欧使節団。 慶長地震の津波被害の2年後、政宗公は当時最大の500トンの船をたった45日で建造させて、太平洋を横断、メキシコ経由でスペインに送った。 支倉常長ら一行は、マドリッドでフェリペ3世に謁見し仙台藩との交易を求めた。絹織物、刀剣、漆器。使節団はセビリアの港の近くのコリア・デル・リオに長期滞在したが、10人が日本に帰らずここに定住したという。 この街にJAPONという苗字の人たちが350人ほど今も住んでいて、自分たちが仙台藩の侍の子孫だと信じている。スペイン語にはJAPONには「日本」という意味しかない。ほかの地方にこの苗字はない。現地の教会の資料には使節団から50年後にJAPONという苗字の人物が初登場している。 ↑ ハポンさん一族 さて、この方たち、本当にサムライの子孫なのでしょうか? 知りたーい。 諸氏のご見識を。 注):使節団派遣当時は徳川政権が成立して10年しかたっておらず、まだ、鎖国令・切支丹禁止令は発せられていませんでした。 |
<< 前記事(2014/03/29) | ブログのトップへ | 後記事(2014/03/29) >> |
タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
---|
内 容 | ニックネーム/日時 |
---|---|
なんか、つい最近・・ |
川口 2014/03/29 09:42 |
左端の婆さんなんか、東北っぽい顔立ちに見えなくもないです。宮城というよりは岩手から青森っぽい感じですが、仙台藩は南部地方まで含まれていましたから、ありえなくはないかな?と思います。 |
はらへった 2014/03/29 09:52 |
お疲れ様です。輿水先生の動画でも以前紹介されていましたよね。11分の4番目の5:00頃から紹介されています。復習、復習、歴史はおもしろい!!輿水先生が解説するとさらにおもしろい!!また次の動画は、なんかのテレビ番組で判り易く紹介レポートされていましたので、添付します。 |
福島パパ 2014/03/29 09:53 |
帰国せずに残ったのには特段の理由が有りそうなので私も知りたいです。 |
ハラ 2014/03/29 09:55 |
以前、「ヨーロッパに消えたサムライたち」 (ちくま文庫) 太田 尚樹 (2007/1) という書籍を読んだことがあります。以下、その時の読書メモです。 |
北海道人 2014/03/29 10:06 |
ハポン姓のスペイン人テロビでみた記憶です。 |
ピーチパイ 2014/03/29 11:02 |
テレビで見ました。スペインで日本の侍の子孫がおられるって素敵です。しかも皆さん誇りを持って堂々と生きておられるって最高! |
噂タク 2014/03/29 11:05 |
かなり以前にテロビで見たおぼえがあります。 |
偽装春曲丼阻止! 2014/03/29 12:36 |
伊達政宗自体がスペイン人のハーフ説なんてのもありますよね |
ken 2014/03/29 12:50 |
ハポンさん一族、男性陣は福助のような額に隠れていますが、後ろにマゲを結っているように見えます。女性の髪型はまさに文金高島田ではありませんか?日本の魂が全身から感じられる素晴らしい方々です。 |
ロックンロール的 2014/03/29 14:44 |
コリア・デル・リオ出身のモデルさんで1996年にミス・スペインに輝いたマリア・ホセ・スアレスさんですが、本人はJAPON姓はありませんが彼女のおじいさんがJAPON姓を持ちます。 |
小鳥遊梨華 2014/03/29 14:46 |
この辺のくだりは、八切止夫の作品にもよく出てきます。 |
コーギー 2014/03/29 15:50 |
私も”ハポン(Japon/Xapon)”さんについては、過去に詳しく調べたことがあります。イエズス会宣教師ルイス・フロイスの日本史には、興味深い記述があります。それは、…”薩摩軍が豊後で捕虜にした人々の一部は、肥後の国に連行されて売却された。その年、肥後の住民は、酷い飢饉と労苦に悩まされ、己が身を養うことすら、覚束無い状態になったから、買い取った連中まで、養えるわけがなく、彼らは、まるで家畜のように高来に連れて行かれた。かくて、三会や島原の地では、時に40名が一纏めにされて売られていた。肥後の住民はこれらのよそ者から免れようと、豊後の婦人や男女の子供たちを、二束三文で売却した。売られた人々の数は夥しかった。”と、あります。つまり、九州のキリシタン大名と、イエズス会、フランシスコ会の奴隷貿易のことです。ここに出てくる”高来(カタク)とは、島原半島のことです。問題は、九州の戦争捕虜が島原半島から、どこに売られたかですが、おそらく、スペイン、ポルトガル、インドのゴア、フィリピン、アルゼンチンなどです。つまり、九州のキリシタン大名たちが、戦争捕虜を国内で転売した後、最終地が島原半島の奴隷船です。明治期の”からゆきさん”は、ほぼ自由渡航者ですが、戦国時代や江戸時代の初期は、奴隷貿易だったと、考えられます。つまり、島原、天草が奴隷貿易の拠点です。勿論、教科書には載ってません。 |
猫 2014/03/29 15:51 |
その1596年7月16日付の奴隷売買契約証書によると、…”コルドバ在住の奴隷商人D・ロッペス・デ・リスボアが、M・デ・ポーラスという神父へ、日本州出身の日本人種、名はフランシスコ・ハポン、21歳、戦利品で担保なし、人税なしの奴隷を800ペソで売る、また、買い主も、この価格で満足して買い取る。”…と、記録されてます。 |
猫 2014/03/29 15:54 |
1582年に、九州のキリシタン大名たちによって、ローマに派遣された天正少年使節団の4人も、現地で、同胞の日本人の男女の奴隷を目撃して、驚愕している会話が、会話録に残されてます。この時代に海外に定住している日本人は、自由渡航者とは考えにくいので、奴隷だと思います。他にも、1646年のスペイン王室の国民徴兵名簿にも、ハポン姓が載っています。更には、1622年のハポン姓の農業従事者を記した文書が、存在するので、奴隷であったことを、ほぼ裏付けています。リチャードさんがご指摘の慶長遣欧使節団(1620年)の頃には、既にハポンさんが大勢居たと思います。 |
猫 2014/03/29 15:55 |
ハポンさん達は蒙古斑が出るという話しを聞いた事があるので、日本人の血も入っているのでしょう。 |
蘇民将来 2014/03/29 16:30 |
辺見マリはハーフだがクォーターのエミリは1/4以下のイメージだ。日本に住み、日本語を使っていると、どんどん日本的になる例が多いと思いませんか。ロバート・キャンベルもすっかり穏やかな顔になってきている。日系ブラジル人のお客さんに聞いた話によると、キリシタン大名が売り飛ばした島原の女の子達の子孫がポルトガルには20%位いるとブラジルの歴史教科書に載っている。コーギーさんも言っているが、アマリア・ロドリゲスの歌なんか島原の子守唄とか、八代亜紀の歌に相通ずるものがあるように思う。 |
南沙織17才私もうすぐ69才 2014/03/29 18:37 |
>>フランシスコ・ハポンという名は、イエズス会、或いは、フランシスコ会所有の”日本州(スペイン・ポルトガルの属州)”の奴隷という意味 |
はらっち 2014/03/29 19:25 |
ボルゲーゼ家所有の常長像を初めて見た時、思わず笑ってしまいました。 |
モラトリアム世代 2014/03/29 21:36 |
遠藤周作の「侍」という小説は、支倉常長を主人公としたものです。昔読んだのですが、内容はほぼ忘れています。小説の中にスペインに残った10人の話も出てくるかもしれません。 |
peco 2014/03/30 08:05 |
>はらっち様 |
猫 2014/03/30 08:29 |
因みに、日本に残った”プライド浪人”たちは、海外の勢力にリクルートされて、討幕運動の工作員になったと考えられます。坂本竜馬とかw |
猫 2014/03/30 08:33 |
鎖国に関しても、どの時点が鎖国なのか、よく分かりませんが、おそらく、スペイン・ポルトガルに見切りを付けて、オランダに切り替えたことを鎖国と呼んでいるのかも知れません。つまり、カソリックを排除して、プロテスタントに切り替えたわけです。そもそも、一般的に信じられているような日本だけが孤立した鎖国はしていません。どこの国でもやっている、単なる制限貿易だと思います。”鎖国”という言葉も、確か幕末に生まれた造語です。ですから、明治の新政府が自らの正当性を宣伝する為に過去の幕府を閉鎖的で孤立した印象に貶めただけだと思ってます。この鎖国の切っ掛けも、九州奴隷貿易だと思ってます。というのも、”島原・天草の大乱”が終結して、その翌年の1639年から、ポルトガル船を入港禁止にしています。結局、幕府軍は、九州奴隷貿易の拠点を攻め落としたわけです。一般的に”島原の乱”と呼ばれているものは、貧困に苦しんだ農民の百姓一揆だと宣伝されてきましたが、実は、そんなものじゃありません。反乱軍と幕府軍の鉄砲戦です。しかも、幕府軍の討伐大将の板倉重昌が突撃して戦死しています。ですから、討伐大将の後任に、老中の松平信綱が抜擢されていますが、5ヶ月に及ぶ長期戦になっています。ここで、不思議なのは、島原・天草の領民(殆ど農民)たちが、大量の弾薬と鉄砲を持っていたことです。昔から、なぜか、島原・天草だけが天候不順で貧農が多かったという説明がされてますが、そんなことではなく、領民の妻や娘を担保として取り上げる為に、無理な重税を課しています。そして、その妻や娘が鉄砲や硝石と交換されていたなら、辻褄が合います。つまり、島原藩の領主松倉勝家は、隠れキリシタンだったと考えられます。ユダヤ人より”隠れユダヤ人”のほうが、性質が悪いですが、キリシタンも同様だと思います。 |
猫 2014/03/30 08:36 |
猫さんの話がまとまっていて |
ポンにだ 2014/03/30 09:55 |
若い頃に羽田発のパンアメリカン航空機の中でスチュアーデス嬢に「スペイン人か?」なんて言われたのを思い出した。この野暮天の面構えの田舎モノに向ってだ。 |
起床天外 2014/03/30 10:11 |
TVでやってましたね。 |
とまと 2014/03/30 14:02 |
明治6年(1873)キリシタン禁制廃止。 |
被爆地 2014/03/30 16:16 |
もう20年以上も前の話ですが、スペイン、セビリア地方を旅しました、よく何処から来たと訪ねられ ジャパーンからと言うと 開口一番 ハポネッサ と言われとても親切にしていただきました。楽しいかった旅の思いで。 |
日本国庶民 2014/03/30 22:18 |
<< 前記事(2014/03/29) | ブログのトップへ | 後記事(2014/03/29) >> |