ちきゅう号ですが311当日、八戸港の岸壁にいて、震災時、津波を避けるため沖合数百メートルに移動した。そこで一夜を過ごした。 これが事実なら、同乗していた小学生たちは、311海底核爆発で、それほど高い被爆はしていないと思うのです。もっと沖合に避難していたら、空母レーガン乗組員と同じ運命だったかも。 ただし、陸前高田で津波を被った薪の放射線量が高かったことも考えると、予断は許さないかもしれない。 一応は、同乗していた小学生たちの健康調査をすべきですね。 2015/6/30 10:48 コシミズさんが講演会で話されていた311時に小学生たちを乗せていた「ちきゅう号」の件。 その件について少し書かれているブログ記事を見つけましたので、念のため貼らせていただきます。↓ http://blogs.yahoo.co.jp/tarakun77/11410961.html 小学生48人、八戸沖で丸1日漂流も助かった 「ちきゅう」が岸壁に着いた状態で、子供たちが5つのグループに分かれ、船内を見学中、激震に見舞われた。「地上と同じくらい揺れたと思います」と同校職員。八戸市は震度5強を記録した。船長が大きな津波が来ると判断し、岸壁に押しつけられる危険を回避するため、船は沖合数百メートルに移動した。子供たちは1時間半の見学のはずが、沖合数百メートルの海の上で一夜を明かすことに。 学校側によると「乗組員の方々の指示が非常に冷静、システマティックで、子供たちに混乱はありませんでした」。泣き出す子供はいなかったという。 船内には食料の蓄えがあり、夕食はサラダやスープ、ポークソテーなどのバイキングで栄養をとることができた。夜は乗組員が場所を譲り、子供たちは眠ることができた。紙と鉛筆も提供され、学習の時間も持てたという。救助を待つ様子は「ちきゅう」のホームページ(HP)で、陸に向けて報告された。 漂流物が多く、津波の可能性も高かったため、岸壁に戻ることはできなかった。12日午後3時ごろ、海自のヘリコプターが救助のため飛来。子供たちは1列に並んで乗り込んだ。夕刻には、学校で保護者らと再会することができたという。 酢味噌 |
<< 前記事(2015/06/30) | ブログのトップへ | 後記事(2015/06/30) >> |
タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
---|
内 容 | ニックネーム/日時 |
---|---|
6つ前のスレで「ユダ金は空母レーガン乗組員をわざと被爆させて、当初の予定ではそれを発表・喧伝して放射能パニック煽りに役立てるつもりだったのでは?」との考えを書かせていただきました。 |
酢味噌 2015/06/30 11:46 |
おはようございます。 |
はにかむ 2015/06/30 11:47 |
日テレ社長「自民党はどうなっちゃったのかな」報道圧力を批判、民放連の井上弘会長は29日自民党若手議員勉強会で報道への圧力をかけようとする発言が出た問題について、言論表現の自由を基盤とする民主主義社会を否定するもので容認しがたい |
az 2015/06/30 12:56 |
テロや災害時には何故か重要人物が大勢の子供達と一緒に過ごしているパターンが多い |
子供と一緒 2015/06/30 13:32 |
地球号 |
芭蕉 2015/06/30 18:02 |
子供と一緒さま |
nishiizu 2015/06/30 22:28 |
311の時に、「ちきゅう号」に乗船していたのは、八戸市立中居林小学校の生徒と聞いております。 |
ハミルカル 2015/06/30 22:35 |
ん?エレメンタリー学生は知っていたで、いい年した社会人大人にはあまり海底爆発人口地震というのは知られていないのか? |
神社エール 2015/07/01 08:05 |
ああ、違いました。 |
神社エール 2015/07/01 08:11 |
<< 前記事(2015/06/30) | ブログのトップへ | 後記事(2015/06/30) >> |